群馬県在住 女性
私のスニーカーには特製のインソールが敷いてある。そのインソールは、一見ボタンのようなモノが数個着いただけの「種も仕掛けもない」ものに見えるが、一歩足を踏み出すたびに足の裏からいろいろなことを発信してくれる、身体との対話機能付きのインソールだ。
パーキンソン病発症から13年経った私の身体は、体幹保持能力の低下から随分と歪みが生じている。その歪みは徐々に出ているので自覚するのは難しく、矯正はさらに難しい。
そんな身体に対して、そのインソールは足裏から刺激や情報をくれる。
「今日はここに体重がかかっているよ」
「あらら、さっきと違うところが刺激されてるよ、どうしたんだろう」
「そうそう、そうに足を出して、その上に体重を乗せて」
「ほら、ちゃんと歩くと疲れないし、ボタンの刺激がツボマッサージみたいで気持ちいいだろう」
そう、そのインソールを介して私は自分の身体と会話することができる。そして、自分がどうに立っているか、歩いているか、知ることができる。
そして、それは在り方にまでつながるインソール。
あれは半年前の冬、朝起きたら左の腰が痛かった。
とにかく体を起こして下半身に体重をかけると痛い。
特に歩く時、左足に体重を乗せる時は、腰のどの部分に上半身の重みを任せるかを間違えるとピキーーンと痛みが走る。
最初はすぐに良くなるだろうとタカをくくっていた。が、2日安静にしていても一向に良くならない。そうかといって、足先がしびれるとか動きが悪くなるとかという症状が現れるわけでもない。
そこで思いついたのが根來さんへのSOSだった。
さっそくメッセンジャーで痛みを訴える。
根來さんは、会話をしながらいろいろなことを私に聴く。
勿論、どんな痛みが、いつから、どうに?それだけでなく、どっちの足が利き足か?どっちの足から歩き出す?歩く時に足のどのあたりが気になる?転んだことはある?etc
根來さんとのやり取りから、症状の出ている腰に注目しがちだが、原因は足関節や膝関節にもあるかもしれないと言われ、目から鱗。さらに、自分自身に起きていることを客観的に受け止め、ロジカルに整理することの必要性を知り、自分を別目線で見なさいと言われていることに気が付く。
ここで、私は観念して整形外科を受診し一番怖かった圧迫骨折は否定され、痛み日記を書き始めた。
痛み日記に書かれているのは、「何処がどれほど痛いか」ではなく、「痛くてどれほど辛いか、不安か、情けないと思っているか、イライラしているか」ということだった。
日記からの気付きは、自分の心は身体以上にダメージを受けているということだった。。パーキンソン病につきもののネガティブ思考、必要以上に卑屈になっている自分が見えた。
だけど、一度気が付くと自分を見る眼が広がる。
遥か記憶の彼方から自分を観察し、昨日の自分までの細かい記憶と言う情報を洗い出す。
そして、今の自分を頭の上から頸、背中、腰、足、そして心まで全身ずー―っとくまなくサーチする眼。
そう、空から降ってくる雨粒の視線。
根來さんの質問と痛み日記は、この雨粒視線の必要性と重要性を教えてくれた。
そして、根來さんから
「僕にお手伝いできることは、これです。」と言って、作ってくれたインソールがここに在る。
それは私の身体のバランスの悪さを、インソールで補正しようというものだった。
届いたインソールは、大袈裟な細工が施されているわけではなく、何だかシンプルな細工がされたものだった。
履いてみるまでは、正直期待値はさほど高くは無かった。
だが、初めて根來さんのインソールの上に立った時の気持ち良さは今でも忘れない。それほどに心地よく足裏に地面を感じさせてくれるものだった。なぜ初めて履いた時のことを忘れないかと言うと、今も、そしていつも同じ感覚を感じるからだ。
初めて立った時は、まだ腰痛は変わらずありそのインソールを使ってもすぐに痛みが取れたわけではない。ただ、その上に立つと、ソールに貼られたボタンのようなモノから私の体にメッセージが届く。「ここに体重を乗せて」、「この下に大地があるんだよ」「今、ここに体重がかかっているよ、さあ自覚して」等々、様々なことを教えてくれる。
そのメッセージは、体幹バランス保持を自覚させるメッセージでもあり、時には大きな安心感でもあり、また足裏マッサージのような心地よさでもある。
あれから半年が経ち、腰の痛みは治まり、オーダーしたインソールは3足となった。
相変わらず身体のバランスは悪いけど、インソールの上に立つと足の裏からメッセージが届く。
それは、あの日に根來さんから教わった「雨粒の眼線の観察」の最終形。地面に浸み込んだ雨は、土に滲みて足の裏から教え導いてくれる。
このインソールは、作り手と使い手の繋がりが創り上げる、在り方のインソール。
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